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マンション基礎知識
古くて新しい、昭和の団地の住まいとデザイン

何階建て、といった「集合住宅」ができたのは、今から100年くらい前のこと。そんな初期の集合住宅とはどのようなつくりで、どんな風に暮らしていたのでしょうか。過去の団地の住戸が復元されている集合住宅歴史館を取材し、コンパクトながらも、工夫されたデザイン、ライフスタイルなど、マンションライフの原点をご紹介します。

集合住宅歴史館にて撮影

増重雄治さん
独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)主査

独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)
集合住宅歴史館

所在地:東京都八王子市石川町2683-3
電 話:042-644-3751
E-mail:annai01@ur-net.go.jp
開館時間:
月曜日~金曜日(祝日、年末年始、URの指定する日を除く)
13:30~16:30
※事前予約制。見学の際は電話又はE-mailでお申込みください
https://www.ur-net.go.jp/rd/index.html

日本のマンションライフ草創期を振り返る

都市部の居住スタイルとしてすっかり一般的になったマンション。欧米スタイルの集合住宅が日本にどうやって根付いたかをつまびらかにしてくれるのが、八王子にある独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)集合住宅歴史館です。

集合住宅歴史館の概要

日本におけるRC集合住宅の歴史も100年を超え、これまで親しまれてきた建物も解体建替が行われる状況です。集合住宅歴史展示棟では、昭和30年代の「公団住宅」のほか、建築史的に価値の高い同潤会アパートの住戸等を移築復元し、集合住宅技術の変遷をたどる展示を行っています。

展示物件の一覧・簡単な紹介

・戦前の集合住宅
  同潤会代官山アパート(昭和2年竣工)
・昭和30年代の中層集合住宅
  蓮根団地/2DK(55型) (昭和32年竣工)
  晴海高層アパート/非廊下階住戸・廊下階住戸 (昭和33年竣工)
  多摩平団地/テラスハウス (昭和33年竣工)

集合住宅というスタイルのはじまり

日本最初期の近代的な鉄筋コンクリート造の耐火アパートである「同潤会アパート」。関東大震災(1923年)からの復興を目的とした住宅供給団体である財団法人同潤会は、義援金を元に内務省の外郭団体として設立されました。大正15(1926)年からは耐震耐火アパートの建設・入居が始まり、10年間で東京・横浜に約2,800戸を供給し、新しい生活様式を提示。同潤会アパートは日本の住宅史における、一つのターニングポイントとなりました。

集合住宅歴史館に復元されているのは、昭和2年に入居が始まった同潤会代官山アパートの世帯住戸と独身住戸。電気やガス、水洗式トイレを備えた鉄筋コンクリート造のアパートメントです。
和洋折衷の生活スタイルを提案していく中、単身住戸(6畳)は畳敷きの隣に作り付けのベッドが設置されています。畳の下には通気性を確保するためにコルクを敷いており、通常の畳より感触が硬くなっていますが、机や椅子が置きやすい仕様になっています。ベッド下は収納スペースとなっており、都市の狭い空間でも効率よく生活できるよう工夫されています。畳の上に布団を敷いていた時代に、画期的な様式だったことがうかがえます。(下写真)

世帯住戸(2K・30平米未満)では水回りも専有部分に入り、キッチン、トイレ、洗面所も室内に備えられています。当時のキッチンは、通気をよくするために窓近くに設置され、床が土間のような仕上げだったので、すのこを敷いて使用していました。

【左】:キッチン
【右】:洗面所

日本の経済成長と共に歩んだ集合住宅のデザイン

UR都市機構の前身である日本住宅公団の昭和30年代の「公団住宅」。公団の創世期といわれる昭和30年代の10年間で、中流階級の労働者向けの住宅が約30万戸供給されました。食寝分離や西洋スタイルのダイニングルームの採用など、さまざまな試行錯誤が繰り返されました。

「蓮根団地」

勤労者向け住宅として東京都板橋区に提供された蓮根団地。当時重要なテーマであった"食寝分離"に基づく、戦後の賃貸集合住宅の原型となりました。人造石砥ぎ出しのキッチンシンクや、備え付けのダイニングテーブルで、ダイニングスペースが確保され、食卓が寝室と分離。衛生事情が向上したと言います。住戸タイプは"2DK"と呼ばれ、ダイニングキッチン以外に2寝室を持ち、公団住宅(当時)の代名詞ともなりました。食卓は、ちゃぶ台で正座して食事をするスタイルから、テーブルとイスという洋風スタイルへ。
33歳のサラリーマンの年収が33万5,000円の時代、4,500円/月の家賃と、上質な暮らしを求める人の、贅沢な住まいでした。

【左】:ダイニングキッチン
【右】:寝室を兼ねたリビングルーム

【左】:一家に一台となった木製風呂桶
【右】:集合住宅で住まいを区別するために鍵の種類が多いシリンダー錠を採用

「多摩平団地」

1958年に入居が始まった多摩平の長屋式テラスハウス。テラスハウスは主に郊外の住宅団地で建設され、同時期に公団が供給したうちの2割にあたります。
間口は約4mですが、奥行約9mの専用庭が各住戸に設けられており、庭では植物で彩られたり、洗濯物を干すのに利用されました。庭から団地内の通路を経て、公園や学校へ連なる段階的な構成により、自然なコミュニティを育んでいったようです。1階は和室、キッチン・浴室・トイレ。2階は和室2部屋の3Kタイプで、当時の家賃は6,000円/月。最寄り駅の豊田から東京まで1時間以上をかけて都心へ通勤する人も珍しくなかったそうです。キッチンにはステンレストップの流し台が採用されました。

「晴海高層アパート」

近代建築の巨匠ル・コルビュジェに師事した前川國男氏の設計でデザイナーズマンションの先駆けとなったアパートです。公団は中低層階の集合住宅を供給する一方で、都市住宅の一つの形態として6階以上の高層住宅を作り始めました。東京都中央区晴海に鉄骨鉄筋コンクリート造10階建で登場した集合住宅は、住戸規模の可変性を持たせた架構方式(メガストラクチャー)の採用や、スキップ形式のアクセス、従来の寸法にとらわれない長い畳など、戦後日本の合理性への追求が見られました。

最近ではあまり見られない居室へのスキップ形式のアクセスでは、晴海の場合にはエレベーターが1・3・6・9階にしか止まりません。エレベーターが止まらないフロアはエレベーター停止階の廊下から階段を上下して自室へ入ります。そのため、エレベーターがないフロアは廊下がなく、居住スペースが広くなっていました。

【左】:各部屋までのアクセス方法を矢印で示す案内図
【右】:廊下のあるフロア。共有部分に流しもあります。

【左】:トイレは1960年から正式採用される洋式型
【右】:電話は当初は内線で呼び出していた様子

戦後の都市人口の急増に伴って急速に普及した集合住宅という住まい方。変遷の様子から、当時の時代背景がうかがえます。
震災後や戦後、貧しい中でも、住まい環境を整え、生活スタイルを機能的にしてきた過程には、学ぶところが多く見受けられました。文化と機能性を、合理的に芸術的に融合させてきた日本の住まい。古きを温めつつも新しきを知り、暮らしの進化を楽しみたいですね。